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ドクターユキオフィストップ >> ようこそ! ドクターユキオフィスへ >>市川 マミ氏


ようこそ、ドクターユキオフィスへ!

今回ゲストにお迎えしたのは、有限会社一億円プロジェクトの市川マミ社長です。
アルバイトを40種以上経験していたり、放送作家だったり、その華麗な転身は、まさに現代のシンデレラ・ストーリー!?その幸運を引き寄せるパワーの源はどこにあるのでしょうか?ドクターユキがその秘密にじっくり切り込みます。

PROFILE
市川 マミ
MAMI ICHIKAWA

静岡県立吉原高等学校卒業。高校卒業後、40種以上のアルバイトをして過ごす。1994年、テレビ制作会社、有限会社オフィスぼくらに入社。放送作家としての第一歩を歩み始め、翌年1995年にフリーの放送作家として活動開始する。その後、約10年ほど放送作家をつとめ、「ASAYAN」をはじめ、数々のバラエティ番組に携わる。ベストセラー『ウケる技術』の著者・水野敬也と知り合うことをきっかけに、2005年有限会社一億円プロジェクトに入社。同年12月には同社の取締役社長に就任する。
同社は「文化祭モデル」なる独自のビジネスモデルを目指し、『ウケる技術』『BAD LUCK』の著者・水野敬也のマネージメント、プロデュースをはじめ、所属の映像監督によるオリジナルDVDコンテンツの制作を行う。
最近では、「後輩オーディション」から発掘した“ネット発の引きこもりミュージシャン” 「ノリアキ」のCDおよびDVD制作も手がけている。DVDとしては、これまで「スカイフィッシュの捕まえ方〜国内編〜」「スカイフィッシュの捕まえ方〜サイエンスジャーニー編〜」「温厚な上司の怒らせ方」(いずれもビクターエンタテインメント)がある。今までなかった新しい コンテンツ作りでは定評がある。

市川マミの1億円プロジェクト ブログ http://blog.livedoor.jp/mami100000000/

一億円プロジェクト ホームページ http://www.100000000.co.jp/
PROFILE
臼井 由妃
YUKI USU
I

1958年生まれ。東京都出身。東京家政学院短期大学家政学部卒業。株式会社健康プラザコーワ代表取締役。短大卒業後、さまざまな職種を経験し1991年、33歳で28才年上の夫と結婚。同年、病気を機に一線を退いた夫にかわり健康器具販売会社経営の道に。1995年に発明した男性機能補助用具「パワーリングネオ」は、2005年現在40万個を売る大ヒット商品に。1998年「健康医科学博士号」、ハワイアンカレッジより「名誉学術博士号」、2000年「経営学修士(MBA)」、2001年「理学博士号」を取得。平凡な主婦が社長に転身、5年で100億円企業に成長させる。現在、起業プランナー、経営コンサルタント、発明家、作家として活躍中。健康・美容・ダイエットの分野にも精通し、若い女性に多くのファンをもつ。全国で行われる講演は年間約100件にのぼり、官公署、地方自治体、学校法人、中小企業団体など幅広く行っている。2003年、日本テレビ系「マネーの虎」に出演。温かさと厳しさが備わったコメントにより人気を博す。「忙しい人の即効!勉強術」「Dr.ユキの楽学合格法―資格で億万長者になる」「金なしコネなし経験なし社長の超・経営術」等著書多数。

臼井「初めまして。今日はよろしくお願いします。
さっそくですが、プロフィールを拝見していて、お名前のことが気になったのですが、カタカナのマミは本名でいらっしゃるのですか?」

市川「本名は麻美と書いてマミと読むんです。
私もともとバラエティの放送作家をしていまして、その頃は本名の麻美にしていたんですが、「市川麻美」は合計総画28画で、もの凄い良くないんですよ。いろんな占いの本を読んでも大凶なんです。親に由来を聞いたら、画数のことは考えてなくて、ただ、昔人気だったアイドルの「小林麻美」が好きだったみたいな感じで、って、言っていて、がっかりして(笑)。 」

市川 「あと、ある番組で占い師のかなり偉い先生に会ったんです。打ち合わせのとき、名刺交換したら、『これは何?!』って驚かれて(笑)。こんな画数が酷い人は見たことがないって言われたんですね。私は自分でもある程度分かってたんで、そりゃそうだろうと(笑)」

市川「それから、仕事でも少し支障があったんです。バラエティ番組の会議で使うネタ出しの資料を自分の名前でファックスするんですけど、麻美って書くとアサミって読み間違える人がいたり、エンドロールで名前が流れても勘違いされることが多かった。なので、訂正するのが面倒臭かったのと、バラエティ番組ばかりやってたから軽い感じが良いかなと思って、途中からカタカナにしたんです。ちょうど、カタカナにすると画数的に13画で大吉だったんで(笑)」

市川「だからといって、漢字で名乗っていた頃に、運が悪かったとは思っていません。
むしろ、すごくよかったと思います。けれど、カタカナにしてからは会いたいと思っていた人に早く会えたり、こういう風に仕事が進んでいけば良いなっていうとこに行けたりはしている気もします。 」





臼井「他にも、プロフィールで気になることが。
かなり面白い経歴でいらっしゃいますが、40種以上のアルバイトをして過ごされたんですね。」

市川「アルバイトは高校時代からやってました。高校時代から相当勉強しなかったんです。女子校だったんですが、クラスで40人ぐらいの中で、常にクラスでビリから2番目ぐらいだったんです、ビリじゃないけどギリギリぐらい。」

市川「学校も早退・遅刻とずいぶんしていて、先生によく怒られていていました。罰として翌日とか掃除とかしないといけないのに、それすら遅刻してまた怒られて・・の繰り返しで(笑)それで何していたかというと、バイトがとにかく好きで。部活動や友だちと遊んだりするのも好きでよくしていたんですが、お小遣いをもらってなかったので、自分で稼ぐためにバイトを転々としてたんですよ。 」

市川「高校の時に経験したアルバイトは、普通のところだとラーメン屋とか、ウエイトレスとか。変わったところでは、テレクラのサクラ、警備員だとか、あとキャディー、配送の運転手もやりました。」

市川「でも本来怠け者で、飽きっぽいんです。例えばキャディーのバイトって、なかなか経験できないことでしょう。そういう、初体験に挑戦したくなるんです。ゴルフの知識がないところから、何ヤードとか知識をつけていくのが楽しかったりして・・。」

市川「でも、ある程度覚えちゃうと、つまんなくなってしまうんです。元々、その道で本気で食べていこうなんて全然思っていないから、ある程度首をつっこんだら、「次はコンビニでやろうかな?」とか、「ブティックで働くのも面白そうだな」と考え始めてしまう。新しいところに首をつっこみたくなってしまうんです(笑)多いときは、3つぐらい掛け持ちをしたこともあります。楽しかったんですよ。バイトごとに接する人も違うし。 」

-ユキ’s eye-
実は私もアルバイトの経験は20種くらいあります。何と言っても、33歳で結婚するまではフリーターだったのですから。けれど、案外アルバイトの経験は、起業後に役に立ったりするものです。働くことも基礎になりますし、業界の知識ものぞけたり。対応能力を磨くのにももってこい!です。どんな経験も、活かそうとする姿勢がその人の力になっていきます。





臼井「高校は静岡ですよね。卒業してから東京に来られて、すぐに「オフィスぼくら」に入社されたんですか?私も知っている方がいらっしゃいますが、とても有名なテレビ制作会社ですよね。」

市川「実は高校卒業後、フリーター時代に突入してからは、ほぼ家に帰ってなかったんです(笑)つき合ってる人の家に転がり込んで。同棲ではありませんが、彼氏の家にずっといて、職も転々とするし。 」

市川「帰らないと言っても、1日1回くらいはシャワーを浴びに帰るんですが、両親が共働きなんで、昼間にこっそり帰るんです。
で、たまに鉢合わせしては大激怒されてました(笑)卒業から2〜3年はずっとそんな感じで、母親にとうとう三行半というか。家族で三行半というのも変ですが、「お金を払うから、お願いだから家を出ていってくれ」と言われてしまいました(笑) 」

市川「それまで、「東京に出たい出たい」って言ってたんですけど、東京出るにもお金必要ですよね。引っ越し代も必要だし。けれど、そんなお金は当然無い訳です、バイトしても全部使っていましたから。親もその時は、「東京なんて危ないからダメ」って反対してたんですが、そんな親がついに「引っ越し代も全部払うから、出てってくれないか。東京とかでもいいから」って。自堕落が功を奏してというか、もう「ヤッター!」と思って、大はしゃぎで上京したんです。高校を卒業してから約3年後くらいですね。 」

市川「それで、TV制作会社「オフィスぼくら」に入社したのが21歳の頃です。これが1回目の転機と言えば転機ですね。けれど、この事務所には1年くらいしかいなかったんです。22歳の時に早々とフリーになってしまいましたから・・ 」

市川「というのも、私はテリー伊藤さんのファンだったんです。面白い番組をつくる方だなーって、高校の頃から憧れていたんです。そしたら、テリー伊藤さんのTV制作会社「ロコモーション」の放送作家の都築浩さんと偶然、知り合ったんですよ。いま「スマステーション」や「学校へ行こう」などを担当されている人気作家の方なんですけど。出版パーティーで会ったので、もう、私は大興奮して、都築さんが1人になったところに駆けつけて「ロコモーションの作家の方にお会いできて嬉しいですっ!私はオフィスぼくらでまだ下っ端なんですけど、何かあったらよろしくお願いします」って名刺をお渡ししたんですね。」

市川「その時は、都築さんも「あぁ、はい」って言っただけで、1〜2ヶ月音沙汰もなかったんですよ。
でも私は会えただけで大満足で(笑)それなのに、急に電話がかかってきて、仕事を手伝わないかって誘われたんです。すごくビックリしました。それまでは、事務所所属ですので下っ端ですけれど、都築さんの仕事では、放送作家も都築さんともう一人しかいなかったので、やりがいがありそうだ、と思いひかれました。しかも、憧れのロコモーションの作家の方からのお誘いでしたから、ほぼ即答で「はい!」と答えてました(笑)これが2回目の転機と言えます。 」

-ユキ’s eye-
不思議ですが、私もそういう出会いの経験があります。御挨拶をした程度で、「何かあったらご連絡くださいね」と言うんですが、その後に連絡を取り合うことはあまりありません。「今度どこかでお会いしましょう」の今度もないですよね。 けれど、必ず出会うべき人がいます。市川さんは、出会うタイミングを上手につかまれたんでしょうね。「出会いたい」って心をあちらもキャッチしたのではないでしょうか。 才能だとか言うモノを越えて、タイミングや波長があって、出会うべき人と出会うときがあるんです。





臼井「「オフィスぼくら」から独立してフリーになられて、だんだん自分のやりたいことが見えてきたという感じですか?それ以降、2004年に有限会社1億円プロジェクトに参加されるまで、ずっとフリーの立場で放送作家としてのお仕事をなさっていたんですか?」

市川「フリーの立場で放送作家をしたのは、10年ほどです。都築さんのおかげで「ASAYAN」とかモーニング娘。関連の番組や、その頃は、吉本の制作会社のディレクターから誘われて、吉本芸人さん系の深夜番組などを担当していました。放送作家はギャラがいいので、私レベルでもある程度稼げるんです。 」

市川「けれど、だんだんテレビ番組の「放送されたら終わり」という部分に物足りなさを感じてきました。形として残らないよなあと思ったりしてて・・。
それに普通は、見ている人も、テレビ番組に出演していたタレントさんは覚えていても、作家まで覚えていませんよね。それで、だんだん形に残る仕事をしたいと思うようになってきました。それで、放送作家をやりながらも女性起業塾に通ったりもしたんです。
できれば、放送作家をやっていたことをいかして、DVDや音楽CDをつくったりしたいなと思っていたんですね。で、あるとき一緒に「ASAYAN」をやっていた渡辺さんというディレクターに、デニーズで打ち合わせしながら、合間に夢を語っていたんです。「DVDや音楽をつくって売りたい」とかって(笑)。」

市川「そしたら、その方が「それは会社にした方がいい」「俺がお金出して会社作ってやるよ」って。
私はもう「えぇえ〜〜!?」ですよ。で思わず、「ちょっと待ってください、私、渡辺さんと恋人でも何でもないし、いいんですか? 何も私渡せないですけど」って言ったくらいです(笑)。ビックリし過ぎて、何度も確認しました(笑)でも、本当にそういうことではなくて、純粋に出資の話だったんですよ。「有限か株式かどっちが良いんだ?」みたいな話までその場でなって・・。 」

市川「だって、株式といったら当時は1000万円の資本金が必要でしたし、こっちはそういうことほんとに疎いので、「うれしいんですけれど、困ったな」と思ったんですが、結局その人が300万集めて、有限会社をつくってくれたんです、私のために。さすがにどうしようかと悩みました。「お前、取締役やれ」とか「社長やっていいから」って言われたり。」

市川「放送作家は10年近くやってたんですけど、生活はフリーターと変わらないですよね。夢を語るのは良かったんですけど、実際そうなったら困ってしまって・・だって、ほんとに雑談の延長でしたから。結局、渡辺さんに代表取締役になってもらって、私がそこに取締役として入る形になったんです。転機でいうと、これが3つ目です。 」

-ユキ’s eye-
起業のきっかけをいろんな方々にお聞きすると、流れに乗ってチャンスをつかんでいらっしゃる方が多くいます。 もちろん、自分で「会社を興したい」と思って実現させる方もいらっしゃいますが、成功している方や、勢いのある方の中には、意外と自然に起業という形になっている方がいらっしゃるのです。「実は嫌いな仕事だったんですけど、とりあえずやってみるかって言ったら、いつの間にか何か上手くいっちゃいましたよ」という感じです。
もちろん口に出さない苦労の部分もたくさんあるのでしょうが、良い意味で流されて起業のチャンスを掴んだっていう人も多いんですね。





臼井「それから、有限会社一億円プロジェクトの社長になられるのですか?」

市川「その会社に参加するのと同時期くらいなんですが、今のうちの会社の代表取締役の、水野敬也という人に会ってしまうんです(笑)もともとは、放送作家をしていた頃に、水野が書いた『ウケる技術』を読んだことがきっかけなんです。すごくおもしろくて、感動して。」

市川「で、著者の名前を見たんですが、全然知らない名前だし、それにTV業界の人じゃなさそうだし、と思ってすごく不思議でした。
「こういう本こそ、業界の人が書くべきなのに」って思うくらい、ほんとよく出来てて・・表紙も嫌になるくらい目立つし(笑)「この本面白いよな〜。糸井さんも帯やってるし。なんだろう」と。 」

市川「それとは別に、その時ちょうど、楽天日記で日記を始めだしたんです。楽天日記ってランキングが出てるんですけれど、おしゃれ部門でずっと1位の日記があったんですよ。総合でもずっと上位の。見てみたら、水野敬也の「ウケる日記」っていうタイトルで。基本、下ネタが多いんですけど面白い日記を書いていて、そこで初めて同一人物だっていうことが分かったんですね。
「あっ、この本の人がこの日記の!」って、「は〜〜、やっぱりこの人は面白い人だな」と再確認しました。 」

市川「私は73年生まれなんですが、水野は76年で3つも年下なんです。けれど、「この人は業界人でもないのに面白いモノを作りすぎてるな。本人に会ってみたいなあ」と思ったんですよ。そうしたらちょうど、水野が講演会をやると知って。ミズノンノリボーン講演会というもので、「自分の服を全部燃やして、全裸からファッションリーダーを目指す」という意味不明な企画の記念講演だったんですけど(笑)5000円だから高かったんですけど、行ったんです。会わなきゃと思って。」

市川「お客さんは50人ぐらいだったと思います。講演が終わったあと、話せるチャンスがあって、「お会いしたかったんです。面白いですね、日記!」とか、挨拶しながら話しました。たぶん、「放送作家してて・・」とか、自己紹介もしてたと思います。」

市川「で、その場では、水野から「あ、じゃ、また何かあったら」とか言われたのですが、そしたらすぐ後に、「これから、毎月講演をやるので受付を手伝ってくれたりしませんか?」みたいな話を頂いたんです。「わ〜〜ぜひぜひ!」と、これも即答で(笑)。こっちは会いたいと思っていた訳なので、思わぬ展開で、嬉しかったし驚きました。 」

-ユキ’s eye-
ラッキーが続いているように見える市川さんですが、これまでのご経歴を整理してみると、会いたい人に会いに行ったりという行動力が飛び抜けていますね。名刺を出す、話をする、自分の夢を語る、やりたいことを発信していくという流れですね。これで、夢に手助けする人と出会っているように思います。





臼井「それでは、このきっかけで有限会社一億円プロジェクトに参加されるのですね?
社長に就任されたのはどういう経緯だったのでしょう?」

市川「水野には、水野愛也という恋愛体育教師という、水野が演じるオリジナルキャラクターがあるんですが、このキャラクターで毎月講演をすることになったんです。
その度に私は会場をおさえたり、リハ会場をおさえたり、当日の受付のお金の精算をやったり。「マドレボニータ」という女性のグループがそれまで手伝っていたんですけど、そこに加わる感じでお手伝いしていたんです。 」

市川「で、手伝っていくうちに、水野が「マミさんと打ち合わせする頻度を増やしたい」みたいな感じで。それまでは、月に1回、講演のために打ち合わせしていたんですが、週に1回とか週に2、3回と会う機会が増えました。それで、そのうちに社員にならないか話になったんです。 」

市川「けれど、その時は、「ASAYAN」のディレクターの人が作ってくれた会社があったし、それから、尾崎友俐さんっていう方の、オリエンタルファクトリーっていう会社があって、その会社の社長をやってたときもあったんです。友俐さんが会長で私が代表取締役ってことで。その上、まだ放送作家もやってて、合間で水野の手伝いをしててたんですね。
仕事がとにかく忙しくて、とてもすぐ受けられる状態ではありませんでした。」

市川
「けれど、水野が「それを全部辞めて、その分のちゃんとしたお給料を払うから、正社員として僕に完全にコミットメントしてほしい」って話をしだしたんです。 毎日会って事務所に行って、一緒に作業をして、チェックするとか。あとは、水野に、これからはこういうことをした方が良いとかアドバイスを欲しいって言われて。 嬉しかったんですけど、いろんな仕事をしている分、立場もあるし、すごく悩みました。しかも、みな、自分からその道に入っていって、で、私に立場やチャンスを提供してくれた人ばかりだったので・・ 」

市川
「しかも私、社員経験がなかったんですよ。社員とかになりたくなくて。というか、高校すらまともに定刻通りに行けないからフリーターをしてた訳で。放送作家も定時出勤じゃない職種だし、お笑い番組好きだし、学歴関係ないから良いと思ってやってたんですよね。放送作家って、日本一ちゃらんぽらんな職業だと思ってたんで(笑)」

市川「けれど、やっぱりやりたいなと決意しました。他の仕事は、周りの方々に謝って辞めさせていただいて、社員になりました。2005年7月ぐらいの話です。取締役社長になったのは、社員として水野のもとで働きだして、半年後くらいのことでした。
水野が「ちょっとマミさん話がある」って言い出したんです。「僕は経営に向いてないと前々から思っていたけど、やっぱ再確認した」って、突然言い出したんですよ。「僕は社長を降りようと思うので、マミさんに社長になってほしい。作家に専念したいので」と。 」

市川「本当に驚きました。縛られるのが苦手で、色んな事に首を突っ込みたいような人種だから放送作家をやってたのに、全部辞めて、しかも社長をって言われて・・(笑)
またまた大きな転機がやって来ちゃったわけです。 」


-ユキ’s eye-
私も放送作家の知人が多くいますが、たしかに一般的には起業家に向いていないように見えますね。 けれど、市川社長は年齢もまだ若いし、自分のやりたいことずっと探し続けるっていうことは全然悪い事ではないと思います。 私も、いろんな仕事を手がけているので、そういう意味ではまだまだ探し続けているのかもしれません。






後編(4/18アップ)に続く→



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